「あの、ヒントというか、ちょっと質問が。会社員の平均年収ってどれぐらいですか」
「男性だと500万円ぐらいですかね」
そんなもんなのか。ということは、月々40万円くらいだな。エモリ先生が時計に目をやって「はい、では、サッチョウさんからどうぞ」と促した。
「えー、一応、1億円ぐらい、だと思います」
「キリがよくていいですね。根拠を伺いましょう」
「大学を出て40年ぐらい働くとして、年収500万円なら合計2億円です。生活費とかを半分ぐらい抜いて、まあ、1億円なら、いいかなって」
「エクセレント!そういう計算を生涯賃金と言ったりします。経費を考慮したのが手堅くて良いですね。うん、順調なすべり出しです。では、次、ビャッコさん、どうぞ」
は?
福島さんも凍っている。
「あの、今、なんて」
「ああ、ビャッコさん。今、ワタクシが考えました。白虎(びゃっこ)隊は会津藩の名高い少年部隊です。薩長連合中心の新政府軍と戦い、飯盛山(いいもりやま)で自刃(じじん)して果てた、旧時代の花です」
いや、それはちょっと……。
「……ビミョー……」
そう、微妙、だよな。少年だし。死んでるし。それに、僕が敵みたいじゃないか。
「嫌なら代案を出しましょう。文句だけ言うのはズルです」
そう言われると、僕も福島さんも沈黙するしかない。
「では決まり。ワタクシはカイシュウさん、でお願いします。勝海舟(かつかいしゅう)は江戸城の無血開城をまとめた幕閣(ばっかく)です。江戸の守りのカイシュウさん。オツでしょう」
福島さんが諦めたように、「はい、カイシュウさん、ですね」と答えた。
適応力高いな。「あの、カイシュウ先生、でもいいですか。なんか呼びにくいので」と僕。
「お任せします。では、ビャッコさん、あらためて、ハウマッチ」
福島さんが淡々とした声で「とりあえず、10億円ぐらいで」と答えると、エモリ先生改めカイシュウ先生が派手にのけぞった。
「これは、ふっかけてきましたね!いや失礼。では、根拠をお聞かせください」
「わたしが誘拐されたら、祖母がそれぐらいの身代金なら払うと思います」
「ほう。あまり大きな声で言わないほうがいいですね。本気で狙うやつが出てきますよ」
丸眼鏡の奥の目が、獲物を狙う鷹(たか)のように光った。冗談に聞こえない。
「いや、実に興味深い。サッチョウさん、何かご意見はありますか」
「10億円について、ですか」
「1億と10億という、あまりと言えばあまりな差について、でもいいですよ」
まともな先生が言うセリフじゃないよ。
「僕が高給取りになればいいんでしょうけど、そんな先のことわからないので」
「うん、実に現実的ですねえ。ビャッコさん、庶民にひと言どうぞ」
「……10億円は自分のお金じゃないです。木戸くん、じゃなくてサッチョウさんの考え方なら、わたしの値段はもっと安いはずです」
「気を遣わなくていいですよ。それに、お祖母さんのお金って言っても、一部はビャッコさんのお金みたいなものでしょう。そのうち相続するんだから」
ここで福島さんが「そういうカイシュウさんの値段はいくらなんですか」と反撃した。
「グッドクエスチョン。いくらぐらいだと思いますか。あ、こんなおっさん、タダでも御免って顔してますね、サッチョウさん。まあ、あえて言えば、人間に値段をつけるような愚劣な行為には与したくないですね」
ちょっと待て。
「今度はお前が言うなって顔してますね。大人なんて汚いもんですよ。それより、お二人の意見、大変面白いです。サッチョウさんは『かせぐ』という手段からアプローチした。ビャッコさんは誘拐犯が求める身代金、いわば犯罪者による『ぬすむ』という視点から考えた。誘拐をリアルに想像したことがある、お金持ちらしい発想です」
福島さんがむっとしたオーラを発した。カイシュウ先生は気にするそぶりもない。
「ビャッコさんのほうにはもう一つ、隠れた視点がありました。相続、つまり遺産を『もらう』です。さて、ここまでに我々はお金を手に入れる方法を3つ発見しました」
かせぐ
ぬすむ
もらう
カイシュウ先生が腕時計を見た。異様に時計が小さく見える。
「そろそろ宿題を出して終わりましょう」
この3つ以外に、お金を手に入れる方法を3つ挙げなさい
チャイムが鳴り、カイシュウ先生はパンパンッと手をはたくと「では来週の月曜日に」と教室から出ていった。福島さんも「じゃ、また来週」と行ってしまった。
残された僕は、一人で黒板を丹念に消した。